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公開日時 2019.12.23
最終更新日時 2022.04.06

明日話したくなる施工管理の工事の歴史豆知識:大工工事編

現代では耳にする機会が少なくなった大工という言葉ですが、建設工事現場などではまだ当たり前のように耳にします。
今回は施工管理者として、知っておくといつか役に立つかも知れない大工の歴史を紹介します。

大工工事の歴史

江戸時代、大工は左官や鳶(とび)とともに花形の職業でした。大工になるには、12〜13歳頃から親方に弟子入りし、早い者で1年、普通でも2年は掃除や炊事などの下働きをしました。

半人前になるといわれるのは、8年目からです。それまではタダ働きだったものが、この頃から小遣い先がもらえるようになります。さらに数年の修行の後、ようやく独立できるようになります。その頃には同時期に弟子入りした人の半数は脱落しているといわれるほど、大工は忍耐が必要な仕事でした。

江戸時代の大工の賃金は1日540文。町民の賃金が300文といわれた時代にあって、大工は稼げる職業として知られていました。実労働時間も短く、1日数時間程度しか働かなかったといわれています。早朝や日が暮れるまでの残業があるときは、時間外手当もつくほど恵まれた労働条件だったようです。

大工はさまざまな専門職種に分かれています。宮大工や家屋大工、建具大工のほか、数寄屋大工や家具大工、船大工などです。日本各地には、大工が集まってできた大工町や職能集団もあります。家具で有名な町や地域に大工の名が入っている地域はその名残といえるでしょう。

木造建築が多く、人口が密集していた江戸では頻繁に火事が起きたため、常に大工の仕事がありました。江戸っ子の「宵越しの銭は持たない」という気質は大工から受け継いだものとして考えられています。

過去と現代の技術の違い

現代の建造物は、コンクリート造が中心です。ひとつの構築物を作るには、設計・調査をする人や、施工する人など多くの人が関わっています。
製図も、CADやCGなどで描く作業が主流です。単なる図面の作成だけでなく、コンピュータ場で構造物の性能チェックもできるようになりました。

一方、近代以前は大工が一人で設計と施工を行っていました。また元来、日本の木造建築の技術は大陸から渡来しました。しかし、その後は奈良の法隆寺に代表されるように、木造建築技術が日本独自の進化を遂げました。

例えば、釘を使わず、木材位の切り口を組み合わせてつなぐ「木組み」は日本で生まれた技術です。基本的な工法だけでも40種類以上あり、一見しただけではどのような組み方をしているのか分からないものもあります。このような技術で造られた建物は耐震性が高く、地震で倒れた記録はありません。

地域独自の大工の歴史を探ってみては

近年、大工の仕事は減っていると勘違いされがちですが、戸建て住宅などで木造建築を見直す動きが国内外で高まっています。また地域や会社によって独自の技術が伝っているケースも多いので、現場の大工に歴史について尋ねてみると面白い話が聞けるかもしれません。

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