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【日本建築の歴史】平安時代編

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公開日時 2023.02.17 最終更新日時 2024.01.30

平安時代は794年に平安京に都を移してから、鎌倉幕府が開かれる1192年まで約400年間続いた時代です。
この長い間に建築に関しても変化しており、平安時代の建築物には奈良時代とは違った特徴が見られます。
では、平安時代の建物はどのようなものだったのか、見ていきましょう。

 


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貴族が住んでいた屋敷


平安時代の建築物には2つの特徴があります。それは上品さと繊細さです。
細部にまでこだわり、見栄えに重視した建築物が多い傾向にあります。奈良時代の建築物は重厚なものが多くありましたが、それとは対照的なのです。
平安時代の貴族が住居として使用していた屋敷の多くは、寝殿造という建築様式で建てられていました。寝殿造では、大きな敷地の中に建物が複数建てられていて、それぞれの建物が廊下で繋がっています。敷地内には池や樹木などもあり、身近に自然を感じられる環境でした。
平安時代の古典文学で舞台になっているのも、このような寝殿造の屋敷がほとんどです。
寝殿造の屋敷は非常に優雅に感じられますが、冬はとても寒かったと言われています。建物内の部屋と廊下はすだれや屏風などで仕切っていたため、隙間が多くありました。そのため、外からの冷たい風が入ってきて、冷えることが多かったそうです。
当時は現在のような暖房器具はありませんが、寝殿造の屋敷に住む貴族たちは火鉢などを使用して温まっていたのです。

平安時代の主な建築物

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂は10円玉に描かれていることで非常に有名な建築物です。現存する寝殿造の建築物の中でも代表的なもので、世界遺産にも登録されています。
建設当時は「阿弥陀堂」や「御堂」と呼ばれていました。
鳳凰堂という名称は鳳凰が羽を広げているような形状に由来して、後の時代になってから付けられたものです。
また、平等院鳳凰堂はもともと、寝殿造で建てられた平等院という寺院の建物のうちの1つでした。しかし、鳳凰堂以外の平等院の建物は戦乱や災害などによって滅失してしまったのです。

中尊寺金色堂

中尊寺は岩手県平泉町にある寺院です。
金色堂は中尊寺の建物のうちの1つで、国宝に指定されています。
平安時代後期を代表する建築物です。
浄土教建築の寺院であり、内部は金箔で飾られて極楽浄土を表現しています。
また、金色堂を建てた藤原清衡のミイラ化した遺体が納められていることでも有名です。

貴重な平安時代の建築物

平安時代の寝殿造の建物は非常に優雅で、当時の貴族の暮らしが窺えるものです。
しかし、平安時代に建てられた建築物のほとんどは、応仁の乱などの戦乱により滅失してしまっています。現存する当時の建築物は少ないですが、機会があれば是非見に行ってみてはいかがでしょうか。

 


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