ページトップに戻る
公開日時 2018.11.27
最終更新日時 2022.04.06

日本が誇る土木構造物。ダムの歴史を知る⑥【昭和初期編】

1926年から始まる昭和時代は、1988年まで長く続きました。
今回は、昭和初期の期間である1926年の昭和元年から1954年の昭和29年までについてフォーカスします。
この時代には、第二次世界大戦もあり、土木構造物であるダムの建設にも軍部の影響が色濃く出た時期でもあります。
では、昭和初期の日本のダムの歴史をご紹介しましょう。

多目的ダムの建設と軍部による影響

大正時代までに作られたダムは、水道用ダムや発電用ダムとして一つの用途のために用いられるものでした。
しかし、水道や発電の目的の他に、渇水対策としての貯水池、川の水を調整して洪水などの災害を防ぐ砂防機能などダムに複数の役割を持たせた多目的ダムの建設の必要性が説かれるようになりました。
これを受けて河水統制事業が開始され、各地で多目的ダムの建設が進められるようになりました。
昭和15年には、山口県の向道ダムが錦川の洪水調節、工業用水道の供給、電力供給を目的として、日本で初めて多目的ダムとしての運用を開始しました。
また、富山県の黒部川に小屋平ダム、仙人谷ダムと水力発電所が建設されるなど河川一貫の水力発電事業も進められていき、より大規模の発電用ダムが建設されていきました。
北海道の雨竜第一ダム、長野県の三浦ダム、平岡ダム、高知県の長沢ダムなどが建設されたのもこの時期です。
戦時下、軍部が大きな力を持ち、複数あった電力会社は国有化されていきます。
河水統制事業にも影響を与え、治水目的で建設中であったダムを軍事工場向けの発電用ダムへと用途を変更するなどの事態が発生しました。
そして、日本が不利な状況になると物資も人材も戦争に投入され、ダム事業のほとんどは事業遂行が不可能な事態となりました。

戦後のダム事業

戦争が終わると、木材として木が伐採された山は保水力を失い、壊れたダムは修繕もままならない状況にあり、さらに度重なる台風が日本を襲い、各地で大規模な水害が発生しました。
その後発足した建設省は、それまでは堤防の建設を基本としていた治水対策に、ダムの洪水調節機能を活用した計画を作成しました。
これにより北上川、最上川、利根川、吉野川などの主要な河川に治水目的のダムが建設されていきました。
また食糧を増産するための灌漑整備として農業用ダムが建設され、農業用水が安定して供給されるようになり、米をはじめとした農産物の生産が拡大していきました。
戦時下で国有化された電力会社も分割して民営化され、特殊法人として設立された電源開発とともに発電用のダムを次々に全国に建設していきました。

戦後の復興を支えたダム

戦後、荒れ果てた野山は保水機能を失って台風のたびに水害が発生し、荒れた田畑では十分な収穫量が得られず食料不足も起きました。
水害の対策として洪水調節機能を目的とした治水ダム、食糧増産を目的とした農業用ダムが多く建設され、水害と食糧不足から人々を守りました。
電力会社も発電用のダムを建設し、日本中に大規模なダムが多く建設されました。
ダム建設による水害の減少、食料生産性の向上、電力供給の安定が戦後の日本の復興を支えたともいえるでしょう。

俺の夢は「施工管理技士の派遣転職」に特化し、業界最大級の求人数、30年以上の転職サポート実績を誇る求人サイトです。
このサイトでは、施工管理技士の方に役立つ情報を「トレンド」「キャリア」「知識」の3つに分けてお届けしています。
運営企業:株式会社 夢真

Twitter LINE
NEW

新着求人

2024年3月29日更新
新着情報0
現在、新着求人はありません。