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公開日時 2018.11.27
最終更新日時 2022.04.06

日本が誇る土木構造物。ダムの歴史を知る⑤【大正時代編】

大正時代は西暦1912年から1926年までのわずかな期間ですが、大正デモクラシーと呼ばれる自由主義運動が盛んになり、大正3年には第一次世界大戦が起こり、大正12年には関東大震災が発生し、社会が大きく揺れ動いた時代です。
日本のダムの歴史を見てみると、土木構造物であるダムも大正時代に大きな転換点を迎えています。
では、大正時代のダムの歴史をご紹介しましょう。

発電用コンクリートダムの誕生

明治時代に街に電気が通るようになると、大正時代にはさらに発電事業に力が入れられるようになりました。
大正元年には、首都圏への送電を目的に栃木県の鬼怒川に日本初の発電用コンクリートダムである黒部ダムが建設されました。
大正3年に山梨県に完成した大野ダムは、高さ37.3メートルと当時のダムにおいて日本一の高さを誇るものでした。
この他にも日本各地において水力発電用のダムが多く建設されていきました。
中でも岐阜県の木曽川に建設された大井ダムは、近代化産業遺産にも認定され、日本のダム建設の歴史においても重大な意味を持つものです。
アメリカから技術者を招聘し、当時の金額で総事業費1952万円という莫大な建設費用をかけ、延べ146万人の作業員を要して大正13年に完成しました。
半川締切方式、ボウリング調査など日本初の手法を取り入れ、最新式の重機が揃えられ、資材輸送のためにダム建設専用の鉄道を敷くなどの大掛かりな工事となりました。
大規模なコンクリートダムが建設されたことによって発電力が大きく向上し、送電技術の発達とともに電気の普及に大きな役割を果たしました。

大正時代のダムの特徴

大正時代には、発電用のダム、水道専用ダムなどコンクリートダムが多く作られました。
また、大型のコンクリートダムだけでなく、国の重要文化財や登録有形文化財に指定されている日本では珍しい型式のダムが多く建設されたのも大正時代の特徴です。
1つはバットレスダムと呼ばれるもので、貯水池で受ける水圧をコンクリートの止水壁をバッドレス(扶壁)と横桁で支える方式のダムです。
外観は格子状になり、セメントが高価だった時代、コンクリートを節約できるとして次々に建設されていきました。
コンクリートが安価になるにつれ、メンテナンスが必要なバットレスダムは建設されなくなりました。
またマルチプールアーチダムと呼ばれるアーチ状の止水壁が連なる形のダムも大正時代に作られました。
日本では香川県の豊念池ダム、宮城県の大倉ダムの2か所のみにある希少な形式のダムです。

コンクリートダムが大きく発展した大正時代

大正時代は、電力会社が次々と作られ、電気を作るために水力発電用のコンクリートダムが各地に建設されました。
電力事業の発展とともに、大正時代はコンクリートダム建設の技術が大きく進歩した時代であると言えます。
バットレスダムやマルチプールアーチダムなど、土木構造物としても歴史に残る珍しい型式のダムも作られた時代でした。

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