ページトップに戻る
公開日時 2019.12.23
最終更新日時 2022.04.06

明日話したくなる施工管理の工事の歴史豆知識:水道工事編

普段何気なく使っている水ですが、施工管理者に蛇口をひねればきれいな水が出るようにするためには水道工事や管工事が必要なことは当たり前の認識だと思います。
今回は、施工管理者にとっては工事現場で馴染み深く、私たちの生活を支えるインフラ「水道」の歴史を紹介します。

水道工事の歴史


人は昔から、湧き水のあるところや川のそばで飲水を手に入れやすいところで生活してきました。ところが人口が増えてくると、きれいな水を手に入れるのは難しくなっていきます。

東京の水も例外ではありません。かつて日本の一地方に過ぎなかった江戸には、広い野原が広がっていました。
現在の日比谷公園や皇居外苑のあたりは、日比谷入江といわれる浅海でした。井戸を掘っても水質は塩分が強いため、とても飲めたものではなかったといいます。
そこを整備して水道が引かれたのは江戸時代のことです。東京の水道は、天正18(1590)年に徳川家康が江戸に入府する際に開設された小石川浄水が起源。水道の整備は、多くの人の努力と汗を必要とする一大事業でした。

それを成功に導いたのが、大久保藤五郎です。その後、神田上水へ整備が進められることになります。江戸のまちづくりが完成したのは、3代将軍家光の時代のことです。水道が整備された江戸の町には、大名屋敷が立ち並びました。
しばらくの間は、神田上水と溜池上水が江戸の暮らしを支えました。ところが、江戸はその後も発展を続けます。当時、世界でも有数の人口に膨れ上がった江戸を支えるには不足を感じるようになりました。

その後、玉川上水や亀有上水、青山上水、三田上水が相次いで整備され、元禄9(1696)年には千川上水が整備されることとなります。元禄から享保の時代にかけて、江戸には6系統の上水が引かれることになりました。
しかし、その後8代将軍吉宗の時代に、そのうちの4系統が廃止されます。江戸時代の後半は、神田上水と玉川上水が人々の暮らしを支えました。

過去と現代の技術の違い


近代水道が整備されたのは明治時代になってからのことです。上水路の汚染や、消防用水の確保などの必要性から、明治21(1888)年に具体的な調査設計が開始されます。
それから10年ほど後になって、浄水場での沈殿、ろ過、有圧鉄管による給水が始まりました。東京の水道が全面的に完成したのは明治44(1911)年のことです。
関東大震災や第二次世界大戦は、東京の水道に大きなダメージを与えました。しかし、そうした苦難を乗り越えて、水道は人口増加や産業の集中、ライフスタイルの変化などに対応して大幅に供給能力を増やす対策がとられます。1日17万㎥でスタートした近代水道。現在、1日686万㎥の施設能力を持つ世界有数の水道に成長しました。

水道の工事は意外と深い

東京の水道は江戸時代に始まり、近代水道は明治時代になってから整備されました。近年は首都直下地震への対策を進め「安全でおいしい水」に対するニーズに応え続けています。

※出典:東京都水道歴史館「東京水道の歴史

俺の夢は「施工管理技士の派遣転職」に特化し、業界最大級の求人数、30年以上の転職サポート実績を誇る求人サイトです。
このサイトでは、施工管理技士の方に役立つ情報を「トレンド」「キャリア」「知識」の3つに分けてお届けしています。
運営企業:株式会社 夢真

Twitter LINE
NEW

新着求人

2024年4月20日更新
新着情報0
現在、新着求人はありません。