ページトップに戻る
公開日時 2018.11.27
最終更新日時 2022.04.06

日本が誇る土木構造物。ダムの歴史を知る⑨【平成編】

1989年から始まる平成時代は、バブル景気から始まり、バブル崩壊による平成不況が長く続いた時代です。
昭和後期にはダム建設反対運動が起き、大規模土木構造物であるダムに対する風向きが変わりました。
そして、平成の時代に入るとダム事業はさらに苦境に立たされる時代となります。
では、平成における日本のダムの歴史をご紹介しましょう。

自然保護の観点と脱ダム宣言

平成4年リオデジャネイロで初めての地球サミットが開催され、世界的に環境破壊や自然保護への関心が高まりました。
ダムの建設は、自然に流れる川をせき止めて建設されるため、貯水池となるダムの上流は水没し、護岸の植生や川の生態系、河川の水質にも大きな影響を与えます。
昭和時代には移転を強いられる住民が中心となって進められていたダム建設反対運動は、平成に入ると自然保護の観点からダム事業に反対する市民運動が盛んになりました。
このダム反対の風潮には自然保護だけでなく、ゼネコン汚職事件などによる公共事業のあり方や税金の使われ方など、さまざまな観点が含まれていました。
2000年代になると長野県知事が巨額の費用をかけて建設するコンクリートダムは環境に大きな負荷を与えるとし、県内のダム建設を中止するという、いわゆる「脱ダム宣言」を行ったことを皮切りに、複数の自治体がダムの建設計画を凍結しました。
国土交通省も直轄のダム計画の見直しを行い、多くのダム建設を中止しました。

ダムの復活と新たな利用法

多くのダム事業が見直され、中止となる事業が多い中、日本各地において集中豪雨による大規模な水害が毎年のように発生するようになりました。
地球温暖化による気候変動が影響していると考えられ、過去に類をみない降水量を記録する局所的な豪雨が河川の氾濫、山や斜面の土砂崩れを引き起こしました。
この時、川が氾濫し大規模な被害を受けた地域に比べて、同程度の降雨量でもダムの洪水調節機能が生かされ流域の浸水被害を抑えた事例が各地に出始めました。
これにより、治水目的のダムの有効性が再び見直されるようになってきました。
また、ダム建設によって過疎化してしまった水源地域を活性化させようとする取り組みも始まりました。
ダム建設を機にダムを活用した町づくり計画を策定する市町村や、ダム周辺地域を公園として整備し、ダム見学を含めたレクリエーションの場として活性化を推進する地域も増えています。
ダムの新たな価値として、観光資源としての利用が始まりました。

ダムの再評価と活用の広がり

平成のダム事業の歴史は、自然破壊の象徴、大規模公共工事の象徴として厳しい批判を受けることからスタートしました。
しかしながら、気候変動による集中豪雨が頻発し、ダムの持つ治水機能が再評価されて現在に至っています。
ダムを観光資源として地域振興に結び付け、成功している事例も出始めたり、大正時代のダムが重要文化財に登録されるなど貴重な土木遺産としても注目を集めるようになったりと、ダムの活用法も広がりを見せています。

俺の夢は「施工管理技士の派遣転職」に特化し、業界最大級の求人数、30年以上の転職サポート実績を誇る求人サイトです。
このサイトでは、施工管理技士の方に役立つ情報を「トレンド」「キャリア」「知識」の3つに分けてお届けしています。
運営企業:株式会社 夢真

Twitter LINE
NEW

新着求人

2024年4月16日更新
新着情報0
現在、新着求人はありません。