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公開日時 2018.11.27
最終更新日時 2022.04.06

日本が誇る土木構造物。ダムの歴史を知る⑧【昭和後期編】

1965年の昭和40年から1988年の昭和63年までの昭和後期、高度経済成長とともに隆盛を極めてきた日本のダム事業も大きな岐路に立たされることになります。
大ダム時代と呼ばれた昭和中期には、土木構造物として大規模なダムの建設ラッシュが続きました。
しかし、昭和後期に入るとダム建設に対し建設反対運動が起きるようになります。
では、昭和後期における日本のダムの歴史をご紹介しましょう。

ダム建設反対運動

ダムは、山間部にある川や渓谷に建設するものであり、ダムが建設されると上流部は水を溜める貯水池となります。
従来、人は川に近いところに集落を作ってきました。
そのため、ダム建設を予定する場所にも人が暮らす集落や農地があり、ダムが建設されればそこに住む人々は移転を余儀なくされ、生まれ育った土地が水に沈むことになります。
事業者は強圧的な態度で土地の収用を進め、移転に伴う補償も充分なものとは言えないものでした。
故郷を失い、新たな土地での厳しい生活を強いられた人々の怒りが結集し、各地でダム建設反対運動が起こりました。
1954年に福島県の田子倉ダムで大規模な反対運動が起きたのを皮切りに、全国でダム建設反対運動が起き、ダム計画自体が中止に追い込まれるケースも出てきました。
これまで、全体の利益が優先されて移転住民への配慮がなされないまま進められてきたダム建設は、1974年に水源地域対策特別措置法が制定されることによって移転に伴う補償問題の法整備が整えられることとなりました。

ダム事業の新たな展開

用地収用の問題もあり、大規模ダムの建設が難しくなると治水を目的とした小規模ダムの建設が盛んになり、貯水池をより掘削するなどして既存のダムの機能を増強させるダム再開発事業も増えていきました。
また新しいダム技術も誕生し、RCD工法と台形CSGダムは日本が開発したダム技術です。
これらはセメントの量を減らし、環境負荷も軽減し、土木機械を積極的に用いることで事業費の圧縮を実現するものです。
一方、日本における発電は水力発電が長く主流でしたが、1963年を機に火力発電が水力発電を上回り、以降水力発電は衰退していきました。
しかし、火力発電や原子力発電は常に高稼働率の運転が必要であるのに対し、柔軟な出力運転が可能な水力発電の必要性も見直され、電力需要ピーク時に即時に対応できる揚水発電が注目されました。
1970年代以降、夏の電力需要ピークが増大することに合わせて各地に大規模揚水発電所が建設されていきました。

ダム建設に逆風が吹き始めた昭和後期

大正時代から盛んに建設されてきたダムですが、昭和後期に入ると大規模な反対運動も起きはじめます。
大ダムを建設できる用地にはすでにダムが建設されており、用地収用も難しくなったことからダム事業は方向転換を図りました。
地域の水害を防ぐ小規模の治水ダムの建設が行われ、既存ダムの再開発事業が進められた時代でした。

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