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公開日時 2018.11.27
最終更新日時 2022.04.06

日本が誇る土木構造物。ダムの歴史を知る⑦【昭和中期編】

昭和30年の1955年から昭和39年の1964年にかけての昭和中期は、大規模なダム建設プロジェクトが進められ、日本のダム建設の歴史において最もダムが建設された時代であるとも言えます。
日本の重工業も大きく発展し、各地に工業地帯が建設されました。
都市部への人口集中も進み、新たな問題も発生した時代です。
では、昭和中期のダム事業についてご紹介しましょう。

ダムの新たな建設方式

明治時代に導入されたコンクリートダム技術以降、さまざまな近代的な手法が導入され、ダムの建設技術は発展してきましたが、戦後に欧米の最新技術が導入され、新しいダムの建設方式も導入されるなど、ダム技術は更なる発展を遂げました。
岩石や土を積み上げて建設するロックフィルダムは日本の土壌や気候には適していないとされていましたが、最新の土木技術を導入することで日本でもロックフィルダムの建設が可能となり、昭和22年に日本で初めてのロックフィルダムである岩手県の石淵ダムの建設が開始されました。
また、設計技術の発達により地震の多い日本には不向きとされていたアーチ式コンクリートダムも建設されるようになり、高さ100メートルを超すアーチ式ダムも作られました。
中空重力式コンクリートダムは、ダムの内部に中空部を作ることでコンクリートの量を減らすことができ、ダムの設置面積も広くなるため重力式コンクリートダムよりも高い安定性を保つことのできるダムの型式です。
昭和32年に静岡県に作られた大井ダムは、日本初の中空重力式コンクリートダムです。
ダム技術が急速に発展し、100メートル級の大規模ダムが次々に建設され、工事には大型土木機械が採用され、土木構造物である大規模ダムの成功を機に日本の重機メーカーは世界に飛躍していきました。
昭和38年には、日本のダムの最高峰とされる日本最大の高さ186メートルを誇る黒部ダムが完成しました。

新たなダムの役割

これまでダムに課せられていた目的は、洪水調節機能としての治水、農地への灌漑、電力発電が主なものでした。
戦後、日本の重工業は急速な発展を遂げ、太平洋ベルト地帯と呼ばれる工業地帯が誕生しました。
当時は、工業用水は地下水をくみ上げて使っていたため、工場の増加に合わせてくみ上げる地下水の量が増え、各地で地盤沈下の問題が発生しました。
生産性が向上したこともあいまって、地下水だけでは水が足りず、深刻な水不足が生じました。
また、東京をはじめとした大都市に人口が集中し、上水道の不足も大きな問題となり、工業用水と上水道を安定的に供給するための水源整備の必要性が高まりました。
これを受けて水道法や水資源開発促進法が制定され、特殊法人水資源開発公団が設立されました。
公団によって地域の重要な水源にダムや水路が整備され、各地の水不足が解消され、ダムは水源としての機能も果たすことになりました。

日本のダムの黄金期

大ダム時代とも呼ばれるこの昭和中期には、さまざまな型式のダムが建設され、大規模なダムが次々に建設された時代です。
土木建設用の機械も発展し、工事現場の安全管理、国際競争入札制度など、大型土木事業の礎が作られた時代でもあります。
また、水源としての新たな役割も増え、日本のダムの歴史においてダムの存在感と重要性を大きく増大させた時期だと言えます。

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