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公開日時 2018.11.27
最終更新日時 2022.04.06

日本が誇る土木構造物。ダムの歴史を知る④【明治時代編】

明治時代には開国・文明開化・富国強兵の影響で、多くの新技術が日本に流入しました。
ダム建設の分野も例外ではありません。
新技術を活かしたダムや日本初と呼ばれるダムが明治時代に数多く作られました
この記事では明治時代のダムの歴史を紐解いていきます。
「これって明治時代からあったのか」と驚くことがあるかもしれないので、興味のある方はぜひお読みください。

ダム建設技術の伝播

外国のダム建設技術を広めるきっかけとなったのは、旧幕臣である大嶋圭介が出版した『堰堤築法新按』の登場でした。
海外の専門書を翻訳したこの本は、多くの挿絵と原本の図面を駆使し、初心者にわかりやすく技術を伝える実践的な専門書でした。
伊藤博文や勝海舟と言った歴史上の偉人も推薦文を寄せるほどの良書として知られています。
また、明治時代に入ると多くの外国人が日本にやってきて、各分野の専門知識を直接日本人に伝えました。
外国人の一部は政府に雇われ、「お雇い外国人」と呼ばれるようになります。
土木技術を日本人に伝えた外国人の代表例がウィリアム・K・バートンであり、後で説明する布引五本松ダムの建築を指導しました。

続々と作られる「日本初のダム」

それまでの日本の上水道は衛生的な問題が多く、水道水を介してコレラや赤痢にかかる人が多くいました。
また、木造建築物が多い日本では火災に対する防火用水の確保が必要であり、水道設備の拡充が求められていました。
明治時代には幕府が無くなったため、市町村が水道事業を行うことになりました。
1891年に、長崎市は日本で初めての上水道専用ダムである本河内高部ダムを完成させました。
本河内高部ダムの完成と同時に浄水場も整備され、水道水における衛生面の問題は徐々に解決していきました。
また、神戸市では日本初のコンクリートダムである布引五本松ダムが1900年に建設されました。
コンクリートダムの完成は日本ダム史のターニングポイントと言っても過言ではない出来事で、その後多くのコンクリートダムが作られるようになりました。
さらに、1909年には大湊第一水源地堰堤という小規模なダムが作られました。
これは日本初のアーチ式堰堤で、これを皮切りに多くのアーチ式ダムが建設されていくことになります。

明治時代はダム技術の転換期

明治時代に作られたダムはまだ現役で使われているものも多く、中には阪神大震災等の大災害に耐え抜いたダムもあります。
多くの年月と災害でも壊れなかった事実から、明治時代のダム技術の高さがわかります。
当時の技術と現在の技術を比べてみるのも意外と面白いので、試しに調べてみると新しい発見があるかもしれません。

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